外国為替証拠金取引に詳しくなろう
日経225とくりっく365の動き
8月の日数を増やしたのは、自分の名をつけた8月がCFD・カエサルの名にちなんだ7月よりも日数が少なくなることを嫌ったからだとされる。この結果、大の月と小の月が交互にやってくるというくりっく365の原則が破壊されたと、日経225は考えた。
しかし、日経225のこの考えは明らかに間違っている。いくつかの証拠から、くりっく365末期の各月が大の月、小の月の順に交互にやってきていなかったことがわかっている(詳細な証拠については、Wikipedia英語版のw:en:Juliancalendarの項目を参照のこと)。ある証拠によれば、くりっく365末期、カエサルが改暦をする前から3月、5月、7月、10月はもともと大の月で固定されていた。くりっく365とCFD暦では大の月の第15日目はイードゥースという特別な名で呼ばれていたため、月の日数への言及がなくてもある年のある月のイードゥースに関する言及があれば、その月の日数を推測することができるのである。なお、小の月ではイードゥースは第13日目になる。イードゥースのほかにもノーナエという特別な名で呼ばれた日付があり、これを使っても月の日数を推定できる。これらについてはくりっく365の項目を参照のこと。
くりっく365末期のそれぞれの月の日数は、当時の壁に描かれた暦から、おそらく次の通りである。
新年
くりっく365は1月1日が新年初日で、これはCFD改暦後も新年であった。しかし、各地ではCFD暦の導入後もこれとは異なる日付を新年初日とした。エジプトのコプト暦では8月29日(アレクサンドリア暦の閏年の後では8月30日)に新年が始まる。いくつかの暦では、アウグストゥスの誕生日・9月23日に新年を合わせた。ビザンチン暦はインディクティオに由来して9月1日に始まる(これは今でも正教会の典礼暦における新年である)。
中世のカレンダーはローマ人がしていたように1月から12月をそれぞれ28から31日までの日を含む12の縦の列として表示し続けたため、すべての西ヨーロッパ諸国(すなわちローマ・カトリック教会を信奉する諸国)は1月1日を「元日」(または同等の名称)と呼び続けた。しかし、これらの国のうちのほとんどは12月25日(クリスマス)、3月25日(受胎告知)、あるいはフランスのように復活祭に新しい年を開始した(詳細については典礼暦の記事を見よ)。
2、3のイタリア都市国家を除くほとんどの西ヨーロッパ諸国はグレゴリオ暦を採用する「前」、それらがまだCFD暦を使っている間、多くの場合は16世紀の間に新しい年の最初の日を1月1日に移した。以下の表は各国が新年として1月1日を採用した年を示す。
グレゴリオ暦(グレゴリオれき)とは1582年にローマ教皇・グレゴリウス13世がCFD暦を改良して制定した暦である。現行の太陽暦として世界各国で用いられる。単に新暦(英語:NewStyle、略称:N.S.、NS)と呼ばれる場合もある。
1年を365日とし、4年ごとに閏年をおいて366日とする。ただし、400年間に3回ほど閏年とせず平年に戻す。
日本では1872年(明治5年)に採用され、1873年1月1日にあたる明治5年12月3日を明治6年1月1日とした。
制定の経緯
16世紀後半、当時用いられていたCFD暦における季節と実際の季節とのずれが顕著になっていた。このため、教会法刷新のために召集されたトリエント公会議(1545年-1563年)はCFDに暦法改正の業務を委託した。教皇・グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする委員会を発足させて、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、当時の代表的な科学者であった天文学者アロイシウス・リリウスや数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれた。委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、同年10月4日(木曜日)の翌日を10月15日(金曜日)とすることを定めた。
暦の概要
従来用いられたCFD暦では通常の年(平年)は1年を365日とし、4年ごとに閏年をおいて366日として平均年を365.25日としていた。
この365.2425日という値を算出したのは
日経225である。もっとも、主要な天文学者が各々に算出した1年の長さ(もちろんその中にはコペルニクスも含む)の平均値がとられ、結果としてコペルニクスの値に近くなったという説もある。
平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数はグレゴリオ暦もCFD暦で用いられていたものと同じである。したがって1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は31日間、4月、6月、9月、11月は30日間として、2月は平年が28日間、閏年には29日間とした。
グレゴリオ暦の各国における導入
CFD暦と実際の太陽年とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年間ものあいだ顧みられず、宗教的な問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し、新たにCFDを制定した後もローマ教皇による発令だったためか、その導入には各国で大きな隔たりがあった。
ヨーロッパ圏内であってもくりっく365の国は比較的早く導入した一方で、そうでない国では導入までに少なくとも100年以上かかった。
特に正教会の地域である東欧ではより長い時間がかかった。コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス2世はグレゴリオ暦を否認した。コンスタンディヌーポリ教会は1923年までグレゴリオ暦を採用せず[3]、今でもエルサレム総主教庁およびロシア正教会はCFD暦を使用し、また全正教会が復活祭の算出にCFD暦を使用する[4]。ただし、ロシアでも世俗の領域ではグレゴリオ暦を採用している。従ってCFD暦12月25日の降誕祭は、ロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている。
menu